新日本プロレスの闘牛として知られておりベテランの天山広吉。ベテランのレスラーとして存在感を放っています。

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IWGPのヘビー級チャンピオンの実績もあり、小島聡とのテンコジのタッグもめちゃくちゃ有名で健在ですね!!

現在のフィニッシャーはV1アームロックと袈裟固めの複合技のアナコンダ・バイス。仰向けとなった相手の左サイドに腰を下ろし、相手の首に自分の右腕を巻きつけ、巻きつけた右手で相手の右手首を掴み取り、自分の左腕を輪形になった相手の右腕に通して自分の右手首をクラッチし、そのまま自分の体を反るようにして相手の頸部を締め上げる関節技ですね。

他にもホールドは多くあり、変形ツームストーン・パイルドライバーでボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、膝をつきながらマットに着地し相手を脳天からマットに叩きつけるTTD、ボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、そのまま開脚ジャンプした自らの股の間に相手の脳天をマットに突き刺すオリジナルTTD、コブラクラッチに捉えた相手を仰向けになるように倒し込み、相手の左サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させるアナコンダ・マックス、よく失敗しているムーンサルト・プレスがありますね!

他にも独特の呼吸で放ち、使う際には会場内から「シュー」の唱和が飛び交うのが恒例となっているモンゴリアん・チョップ、ダイビング式のフライング・ニール・キック 、ヘッドバッド、向かい合う相手をロック・ボトムの要領で組み付き、持ち上げたのと同時に自分の体を前方へと放り出して、尻餅をつきながら着地して相手を背中からマットに叩きつけるアナコンダ・スラムを使用します。

他にも極められた相手が抵抗して立ち上がろうとした際、腕を極めた状態の相手の身体を持ち上げて、自らは尻餅をつきながら倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつけるアナコンダ・バスター、コーナートップやマット上で相手を立たせた状態でロック・ボトムのような形で相手を固め、相手もろとも跳躍しながら後方へ1回転し、相手をマットへ叩きつけるバッファロー・スープレックス、主にロープから戻ってきた相手に対するカウンター式を使用しており、相手を担ぎ上げてそのまま自身の上半身を預ける状態で後方へ倒れ込みながら相手をマットに叩きつけるマウンテン・ボム、尻餅をついた状態の相手の背後から右腕を首に巻きつき、左脇で相手の左前腕部を抱え込みながら自分の両手をクラッチして締め上げるバッファロー・スリーパーなどを使用しますね。

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天山広吉の戦歴

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天山広吉の経歴

天山は京都府に生まれており1971年生まれ。学生時代はボディビルとバスケットボールに打ち込み、新日本プロレス学校を経て、1990年5月に新日本プロレスに入門しています。

1991年1月11日、今治市公会堂大会にて、本名の山本広吉として松田納(現:エル・サムライ)戦でデビューを飾りましたな。その後は同時期にデビューした小島聡とのタッグで前座戦線を沸かせてきましたな。

1993年3月、若手選手を中心としたリーグ戦、ヤングライオン杯に出場。リーグ戦で勝利を積み重ねていき、23日の決勝戦で対戦した西村修から勝利を収め、同大会を優勝。6月より海外武者修行のため、グラーツを拠点とするキャッチ・レスリング・アソシエーション(Catch Wrestling Association、略称 : CWA)に参戦。現地でランス・ストームを下し、CWA世界ジュニアヘビー級王座に2度戴冠する活躍を遂げます。また、カルガリーの大剛鉄之助の元で肉体改造を行い、1995年1月4日、凱旋帰国に合わせてリングネームの姓を天山と改め、中西学とシングルマッチで対戦し勝利を収めます。2月4日、橋本真也の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。敗れはしたものの、23歳9ヶ月での挑戦は当時の最年少挑戦記録を打ち立てており、その将来性を高く買われていましたな。

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nWo JAPAN時代

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その後、天山は越中詩郎が率いる平成維震軍から再三に渡って勧誘を受け、2月12日、後楽園ホール大会昼興行にて勧誘に対する返事を聞かせてほしいと、越中に呼び込まれる形で私服姿でリング上に登場。越中と握手をすると見せかけて、モンゴリアン・チョップを見舞い維震軍入りを拒否。直後に維震軍の一員である小原道由が現われ、そのまま小原とシングルマッチに流れ込み試合を終始圧倒して勝利を収めます。そしてこの日のメインイベント終了後に再び姿を見せ、リング上にいる選手らを蹴散らかすと直後に登場した蝶野正洋と結託。同日、天山は後楽園大会夜興行にて蝶野 & ヒロ斎藤とのトリオで長州力 & 橋本 & 平田淳嗣組と対戦し、ダイビング・ヘッドバットで長州からピンフォール勝ちを収めるという番狂わせを起こすと、蝶野 & ヒロ & サブゥーらと共に狼群団を結成。一躍してトップレスラーたちの仲間入りを果たします。以降、天山は新日本本隊と抗争を繰り広げ、6月12日、蝶野とのタッグで空位となったIWGPタッグ王座を賭けて橋本 & 平田組と対戦。この試合に勝利を収め、第25代王者組に戴冠する。同年のプロレス大賞では蝶野と共に最優秀タッグ賞を受賞するに至りましたな。

1997年より蝶野が指揮を執るヒール・ユニット、nWo JAPANのメンバーとして合流。同年8月より開催されたG1では準優勝という戦績を残します。しかし1998年10月、蝶野が怪我で離脱し代理で指揮を執る武藤敬司がnWoに小島を勧誘する行為に対して異を唱え、チーム内で亀裂が生じていきます。それでも問題が解決しないまま、11月に開催されたSG TAG LEAGUEでは、nWoスティングとのタッグで出場。25日、公式戦にて対戦した武藤 & 小島組との戦いを通じて小島のことを認めて和解。天山はこれをキッカケに小島とタッグチーム、テンコジを結成しましたな。翌1999年1月4日東京ドーム大会では同タッグで、天龍源一郎 & 越中詩郎組が保持するIWGPタッグ王座を奪取し、第36代王者組に戴冠。以降小島と共にタッグ戦線を大いに賑わし、数々のタッグチームを相手にしのぎを削り、2000年のプロレス大賞では最優秀タッグ賞を受賞、2001年11月より開幕したG1 TAG LEAGUEに優勝するといった活躍を見せてきたが2002年に小島の全日本プロレス移籍が発表され、同年1月24日の試合を最後にテンコジとしての活動を休止。その後は再び蝶野と組むようになり始めましたな。

2003年8月、G1 CLIMAXに出場。これまで何度も優勝候補に挙げられるも、後一歩で手が届かなかった天山は一念発起して、再びカルガリーの大剛の元で肉体改造を行い、凱旋帰国を果たします。また、コスチュームも従来の黒から赤を基調としたものに変更し髪を黒髪に染めましたな。G1では初戦こそプロレスリング・ノアの秋山準に敗北を喫するも、その後は勝利を積み重ねて決勝トーナメントに進出。準決勝戦で高山善廣を制し、決勝戦で再び秋山と対戦。遠征先のカルガリーにて開発した新技、アナコンダバイスで秋山からギブアップ勝ちを収め、優勝を果たします。また、10月に行われたG1 TAG LEAGUEでは西村修とのタッグで優勝。113日には高山が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦し奪取し、第33代王者に戴冠。自身初となるIWGP王座の戴冠となったが129日に行われた初防衛戦で中邑真輔に敗戦し、短命政権に終わりましたな。 

2004年2月15日、中邑の怪我により返上されたIWGPヘビー級王座決定トーナメントにエントリー。決勝戦で天龍を制し、第35代王者に返り咲きます。8月に開催されたG1では新・闘魂三銃士と称された中邑、柴田勝頼、棚橋弘至らを決勝トーナメントで順に3タテして史上二人目となるG1連覇の偉業を成し遂げます。12月5日、全日本プロレスに参戦し、川田利明の保持する三冠ヘビー級王座に初挑戦。12月のプロレス大賞では敢闘賞を受賞しましたな。
2005年2月20日、小島の保持する三冠ヘビー級王座と自身が保持するIWGPヘビー級王座を賭けたダブルタイトルマッチで小島と対戦。試合時間残り15秒となったところで、脱水症状によるK.O.負けを喫しましたな。試合終了後に都内の病院に搬送され、検査の結果、意識消失発作と診断。5月14日東京ドーム大会にて、小島と再戦し勝利を収めてIWGP王座を奪取するも、7月18日の防衛戦で対戦した藤田和之に敗戦し王座から陥落しましたな。

2006年8月、G1ではリーグ戦を全勝で飾り、決勝戦で小島と対戦。これに勝利を収めて3度目の優勝及び全勝優勝の快挙を成し遂げた。その後、タッグパートナーである蝶野との確執が起きてしまいタッグを解消します。10月、真壁刀義、越中詩郎らと共にヒール・ユニット、G・B・Hを結成。後に真壁 & 越中と抗争を繰り広げていた矢野通 & 石井智宏をメンバーとして引き入れ、蝶野率いるBlackと抗争を繰り広げます。12月、全日本プロレス主催のタッグリーグ、世界最強タッグ決定リーグ戦にテンコジとして出場し優勝を果たしましたな。
2007年に入り、天山はG・B・Hのリーダーとして引き続きチームを引っ張っていたが前年12月に負傷した首の状態が最悪であることが発覚、この影響で8月に開幕したG1では2勝3敗と負け越しに終わります。同月12日にはG・B・Hを離脱した越中からピンフォール負けを喫し、試合後のコメントで天山は「リングが怖い」と弱音を吐く姿が見られましたな。10月8日、EXPLOSION '07にて嘗ての付き人である後藤洋央紀とシングルマッチで対戦したが試合終盤、後藤の変形バックブリーカーを喰らい頸椎を損傷。最後は後藤の昇天でピンフォール負けを喫し、長期欠場へと追い込まれましたな。
2008年2月17日、天山は邪道 & 外道 & 石井とのカルテットでレジェンド(蝶野 & 長州 & 越中 & スーパー・ストロング・マシン)と対戦するも、石井が蝶野にピンフォールを奪われ敗戦。試合後、天山は味方の三人から袋叩きに遭い追放されちゃいます。3月9日、NEW JAPAN CUP(以下「NJC」と表記)に出場、一回戦で石井と対戦して勝利。試合後、またしてもG・B・Hのメンバーによる攻撃を受けるが、この状況を見かねた新日本本隊の飯塚高史が天山の救出に駆け付け、事無きを得ましたな。最初こそ飯塚を冷たくあしらっていた天山だったが、15日豊岡大会で握手を交わし共闘を宣言。その後、飯塚とのタッグを友情タッグと命名し、3月30日、NEW DIMENSIONにてIWGPタッグ王者組のモースト・ヴァイオレンス・プレイヤーズ(真壁 & 矢野)とノンタイトルマッチで対戦し勝利を収め、天山は試合後のコメントで同タッグ王座への挑戦をアピール。4月27日、NEW JAPAN BRAVE最終戦で飯塚と共にIWGPタッグ王座に挑戦した。しかし、試合終盤に天山のパートナーである飯塚から裏切りのスリーパーホールドを極められてしまい、最後は真壁からピンフォール負けを喫します。
その後、天山を裏切りG・B・H入りを果たした飯塚と抗争を展開していくも反則による不透明決着が連日続き、さらには天山のタッグパートナーである長州や蝶野からは厳しい言葉を浴びせられるなど次第に孤立していきます。6月15日後楽園大会にて6人タッグマッチでG・B・Hと対戦したが、またしても反則裁定で終わり、試合後に真壁からランバージャック・デスマッチでの決着戦を要求され、同ルールで飯塚と対戦することが決定的となります。7月8日、NEW JAPAN TRILL最終戦で飯塚とランバージャック・デスマッチで対戦。場外ではG・B・Hメンバーからの攻撃で流血、後半はレフェリーを不在にさせ無法地帯と化すも、最後は飯塚にアナコンダバイスを極めて勝利を収めましたな。試合後にG・B・Hによる攻撃を受ける中、天山の嘗ての盟友である小島が救援に駆けつけ、小島と固く握手を交わします。その後、天山は8月に開催されたG1に出場するも、試合後に幾度となく飯塚の襲撃に遭ってしまい因縁が再発。10月13日、DESTRUCTION'08にて飯塚と2度目のデスマッチとなるチェーン・デスマッチで対戦したが、飯塚にチェーンで絞首刑を受けたところを危険と見なされレフェリーストップ負けを喫しましたな。
10月18日、G1 TAG LEAGUEに小島と共に出場し、決勝戦で真壁 & 矢野組から勝利を収め優勝。全日本主催の世界最強タッグ決定リーグ戦では諏訪魔 & 近藤修司組を破り2年ぶりの優勝を果たし、初のメジャー団体タッグリーグ戦両制覇を成し遂げます。その後、翌年に開催されるレッスルキングダムIIIにてIWGPタッグ王座に挑戦を表明したが、12月29日に右目の上半分が見えなくなるという異常を訴え、網膜剥離と診断され欠場を余儀なくされましたな。

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近年の活躍

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2009年5月3日、天山はレスリングどんたく 2009にて復帰戦を行い、小島と共にBAD INTENTIONS(ジャイアント・バーナード & カール・アンダーソン)とIWGPタッグ王座次期挑戦者決定戦に挑むもアンダーソンからピンフォール負けを喫します。天山は試合後のコメントで、「これ以上(小島に)迷惑をかけられない」という理由からテンコジとしての活動を再休止。その後、再び飯塚からの襲撃を受けるようになり、7月20日、NEW JAPAN SOUL最終戦にてチェーン・デスマッチで対戦。飯塚の首をチェーンで締め上げK.O.勝ちを収めましたな。
8月、G1公式戦消化中に古傷である首の状態が悪化し、同月14日に脊椎管狭窄症および右肩亜脱臼により無期限の欠場を発表。千葉県内の病院に入院し、9月24日に首の痛みの原因となる頸椎後縦靭帯骨化症の手術を受けます。10月2日に退院しリハビリに努めていたが、都内病院にてMRI検査を行った結果、右肩腱板断裂と診断され、右肩も改めて手術することになり再入院。11月4日より再退院し、引き続きリハビリと治療に専念し始めましたな。
2010年11月18日、天山は新木場1stRINGにて行われた若手選手中心の興行、NEVER.4を舞台に復帰戦を行いアントーニオ本多と対戦、最後はアナコンダバイスで本多からギブアップ勝ちを収めます。試合後のバックステージで天山は感極まって号泣し、大会終了後に改めてコメントを発表。今後は全日本を退団し、フリーランスとして新日本に参戦している小島を標的に定めることを宣言します。12月11日、NEW JAPAN ALIVE大阪府立体育会館大会にて外道とシングルマッチで対戦。アナコンダバイスで勝利を収めたが、試合後に飯塚からスリーパーホールドを極められまたも因縁が再燃しましたな。

レッスルキングダムVにてDEEP SLEEP TO LOSEルールで飯塚と対戦。試合終盤にレフェリーのブラインドを突いた飯塚の反則攻撃を、実況席のゲスト解説を務めていた井上亘の咄嗟の加勢で逃れることに成功。最後はアナコンダクロスで飯塚を失神に追い込み、勝利を収めましたな。
8月、2年ぶりにG1に出場。最終戦を待たずに予選落ちが確定するも、14日の公式最終戦にて対戦した小島の決勝進出の阻ませ、さらに小島に右目眼窩底骨折の重傷を負わせて欠場へと追い込み4勝5敗という戦績を残しましたな。9月19日、右目の負傷から回復した小島が新日本所属選手として復帰することがアナウンスされ、その復帰戦の相手として指名を受けます。DESTRUCTION'11にて小島聡復帰戦と銘打たれた試合で小島と対戦するも、最後はラリアットでピンフォール負けを喫します。以降も小島と抗争を繰り広げ、POWER STRUGGLEにて小島と三度シングルマッチで対戦しムーンサルトプレスで勝利。試合終了後にまたしても飯塚による襲撃を受けたが、状況を見かねた小島が救出に入り飯塚を排除。天山はその後、リング上で小島と言葉を交わしあい握手はしなかったものの再結成への兆しを見せましたな。19日、小島の試合終了後に起きたCHAOSによる小島への執拗な袋叩きに耐え切れず救出に入る。返り討ちにした後、観衆からの「テンコジ」コールに圧される形で、小島と握手。27日、飯塚による襲撃を受ける中、救出に入った小島と共に飯塚を撃退。その後、天山は小島からテンコジの今後について問いかけられ、遂にテンコジ再結成の意思を表しましたな。12月4日、飯塚 & ヒデオ・サイトー組と対戦。テンコジカッターからアナコンダバイスを極めて飯塚からギブアップを奪い、テンコジ復帰戦を勝利で飾ると、試合後のコメントでIWGPタッグ王座への挑戦をアピールします。

レッスルキングダムVIの舞台で小島と共にBAD INTENTIONSの保持するIWGPタッグ王座に挑戦。バーナードからムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、第58代王者組に戴冠。リマッチを申し入れてきたBAD INTENTIONS[42]、高山善廣 & ランス・アーチャー組を相手にタッグ王座の防衛に成功していったが、2度目の防衛戦終了後に矢野 & 飯塚の襲撃に遭い、IWGPタッグ王座を強奪されたことで遺恨が芽生えます。レスリングどんたく 2012にて矢野 & 飯塚組と対戦したが、小島が矢野からピンフォール負けを喫して王座から陥落。その後DOMINION 6.16での対戦を経て、KIZUNA ROAD最終戦にて矢野 & 飯塚組と三度対戦を行い、最後は小島が飯塚からピンフォール勝ちを収め第60代王者組に返り咲き、抗争に終止符を打ちましたな。
下半期はタッグ王座を巡ってK.E.S.(ランス・アーチャー & デイビーボーイ・スミスJr.)を相手に抗争を展開した。KING OF PRO-WRESTLINGにてK.E.S.と対戦したが小島がスミスからピンフォール負けを喫して王座から陥落。POWER STRUGGLEにてK.E.S.と再び対戦したが、今度は自身がアーチャーからピンフォール負けを喫してしまいましたな。

レスリングどんたく 2013にてIWGPタッグ王座を保持するK.E.S.、挑戦者組のマッスルオーケストラ(中西学 & ストロングマン)、矢野 & 飯塚組を交えた4WAYマッチで対戦。最後は小島がストロングマンからピンフォール勝ちを収め、第62代王者組となります。
8月、G1に出場するも7日の仙台大会にて対戦した内藤哲也戦で肋骨を骨折してしまい、以降の大会を欠場し。KING OF PRO-WRESTLINGにて復帰戦を行い、渡辺高章とのタッグでK.E.S.と対戦したが敗戦。試合後にアーチャーからIWGPタッグ王座へ挑戦することをアピールされ、挑戦を受諾。POWER STRUGGLEにて、IWGPタッグ王座 & NWA世界タッグチーム王座を賭けたダブルタイトルマッチでK.E.S.、アイアンゴッズ(ロブ・コンウェイ & ジャックス・ダン)と変則3WAYマッチで対戦するもIWGP王座から陥落し、さらにはNWA王座奪取はなりませんでしたな。同月23日、テンコジとしてWORLD TAG LEAGUE(以下「WTL」)に出場。決勝トーナメントに進出し、12月8日の準決勝戦でK.E.S.から勝利を収め、決勝戦でBULLET CLUB(カール・アンダーソン & ドク・ギャローズ)と対戦したがアンダーソンからピンフォール負けを喫し、準優勝に終わりましたな。

THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、NWA世界タッグ王座ナンバーワン・コンテンダーマッチと銘打たれた試合に小島と共に出場し、ビッグダディ・ヤムヤム & マイケル・ターヴァー組と対戦。最後はターヴァーからアナコンダバイスでギブアップ勝ちを収め、挑戦権を獲得します。INVASION ATTACK 2014にて、NWA世界タッグ王座を保持するアイアンゴッズと対戦。ダンからピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠。KING OF PRO-WRESTLINGにて、NWAタッグ王座5度目の防衛戦としてK.E.S.と対戦したが、パートナーの小島がアーチャーからピンフォール負けを喫し王座から陥落。試合後に小島に詰め寄り仲間割れを起こして不穏な関係へと発展したが、後に和解を果たしWTLに出場。公式リーグ戦においてコンウェイから勝利を収めたことで、コンウェイの保持するNWA世界ヘビー級王座へ挑戦することを表明しましたな。

THE NEW BEGINNING in SENDAIにて、NWA世界ヘビー級王座を保持するコンウェイと対戦。最後はムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠しましたな。
7月、NWA王者としてG1に出場。18日、天山は明治記念館にて行われたG1直前記者会見の場で自身に「もう終わってる」と発言した内藤に対して怒りを露わにしたコメントを発表、G1では最終戦を待たずして予選落ちが確定するも8月14日の公式リーグ最終戦で内藤からアナコンダマックスでギブアップ勝ちを収め、恨みを晴らしましたな。
8月29日、ブランデッド・アウトロー・レスリング(NWA Branded Outlaw Wrestling、略称 : NWA BOW)が主催する興行に参戦し、NWAヘビー級王座の防衛戦としてジャックス・ダンと対戦したが、ピンフォール負けを喫して王座から陥落しています。

THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、小島と共に永田裕志 & 中西学組と対戦。小島が中西からピンフォール勝ちを収めた試合後、永田がマイクを手に取り、「俺たちの力はまだまだ衰えてない!!」とアピールすると小島、永田、中西らと手を取り合って決起を表明。同日、NEVER無差別級王座の防衛に成功した柴田勝頼から挑発されたことから、第三世代の一人として柴田との抗争に身を投じます。INVASION ATTACK 2016にて、柴田の保持するNEVER王座に挑戦したが敗戦しましたな。
6月27日、KIZUNA ROAD 2016後楽園大会にて、G1出場メンバーに天山は自ら選出されなかった不満をアピール。以後のシリーズでもG1出場のアピールをし続け、7月3日岩手大会にて小島から呼び込まれる形でリング上に登場した。小島は天山のG1にかける想いを汲み取り、「G1の出場枠を譲る」と宣言しましたな。この発言に天山は戸惑いながらも最後は受諾し、後日公式サイトにて小島に代わってG1に出場することが決定。13日、G1に向けての公開練習後のインタビューにて「最後の『G1』」と意気込み本戦へと臨んだが、最終的には2勝7敗という戦績で幕を閉じます。

3月6日、旗揚げ記念日にて、小島と共にIWGPタッグ王座を保持する矢野 & 石井組と対戦。小島が矢野からピンフォール勝ちを収め、同王座12度目の戴冠を果たしましたな。

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 天山広吉のファイトスタイル

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天山のファイトスタイルは正統派です。とにかく相手と真正面から打撃戦で打ち合ってパワーファイトで押しつぶしていくスタイルですね!

現在のフィニッシャーはV1アームロックと袈裟固めの複合技のアナコンダ・バイス。仰向けとなった相手の左サイドに腰を下ろし、相手の首に自分の右腕を巻きつけ、巻きつけた右手で相手の右手首を掴み取り、自分の左腕を輪形になった相手の右腕に通して自分の右手首をクラッチし、そのまま自分の体を反るようにして相手の頸部を締め上げる関節技ですね。

他にもホールドは多くあり、変形ツームストーン・パイルドライバーでボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、膝をつきながらマットに着地し相手を脳天からマットに叩きつけるTTD、ボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、そのまま開脚ジャンプした自らの股の間に相手の脳天をマットに突き刺すオリジナルTTD、コブラクラッチに捉えた相手を仰向けになるように倒し込み、相手の左サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させるアナコンダ・マックス、よく失敗しているムーンサルト・プレスがありますね!

他にも独特の呼吸で放ち、使う際には会場内から「シュー」の唱和が飛び交うのが恒例となっているモンゴリアん・チョップ、ダイビング式のフライング・ニール・キック 、ヘッドバッド、向かい合う相手をロック・ボトムの要領で組み付き、持ち上げたのと同時に自分の体を前方へと放り出して、尻餅をつきながら着地して相手を背中からマットに叩きつけるアナコンダ・スラムを使用します。

他にも極められた相手が抵抗して立ち上がろうとした際、腕を極めた状態の相手の身体を持ち上げて、自らは尻餅をつきながら倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつけるアナコンダ・バスター、コーナートップやマット上で相手を立たせた状態でロック・ボトムのような形で相手を固め、相手もろとも跳躍しながら後方へ1回転し、相手をマットへ叩きつけるバッファロー・スープレックス、主にロープから戻ってきた相手に対するカウンター式を使用しており、相手を担ぎ上げてそのまま自身の上半身を預ける状態で後方へ倒れ込みながら相手をマットに叩きつけるマウンテン・ボム、尻餅をついた状態の相手の背後から右腕を首に巻きつき、左脇で相手の左前腕部を抱え込みながら自分の両手をクラッチして締め上げるバッファロー・スリーパーなどを使用しますね。

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天山広吉の試合の見所とまとめ

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いかがでしたでしょうか。日本のリングでオカダカズチカ、内藤哲也、棚橋弘至と並び、日本のプロレスラーとして圧倒的な知名度を誇る天山広吉。今では多くのファイトで人気を博しており、団体に欠かせない存在となってますね!

そんな彼の試合をテレビの大画面で見るにはスカパーのサムライTVとの契約が必要ですが、彼の試合にはその料金以上の価値があるエキサイティングなものが多いですよね!

これを機に彼の試合と他のスポーツも合わせて見てみてはいかがでしょうか。

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