新日本プロレスの青義軍として知られておりベテランの永田裕志。ベテランのレスラーとして存在感を放っています。

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IWGPのヘビー級チャンピオンの実績もあり、白目式の永田ロックなどの技もめちゃくちゃ有名で健在ですね!!

現在のフィニッシャーは高角度でマットに叩きつけホールドにいく際にはブリッジをせずに自分の体を捻って覆いかぶさるような形で投げるバックドロップ・ホールド。元は通常型となるブリッジして固めるタイプを使用していたが、平成19年の越中詩郎とのIWGPヘビー戦あたりから、現在のフォームに変えましたな。

他にもリストクラッチが相手の左手首を正面から右太股の下でクラッチするのに対してオブ・ジャスティスは左手首を後ろ手に回す様な形で左太股の下でクラッチするエクスプロイダー・オブ・ジャスティスもフィニッシャーとして使用しますね。

他にも変形足4の字固めと膝十字固めの複合技のナガタロック、グラウンド式の腕極め顔面締めナガタロックII、相手の手首を持ってのエクスプロイダーのリストクラッチエクスプロイダー、垂直落下式ブレーンバスターによる旋回式ブレーンバスターのサンダー・デス・ドライバー、ブレーンバスターの体勢で持ち上げて、足をトップロープにかけ、そのまま首に対して自分の体を旋回させるマジック・スクリュー、フロントスリーパーの体勢で捕らえ、顔面からマットに叩きつける荒技のナガタバスターなどを使用します。

打撃技も通常のエルボーと違い、額に向けて高速で何発も放つムエタイ式エルボー、尻餅をついている相手の背中を足の甲で蹴りつけるサッカーボールキック、相手の動きを止めたあと相手の正面にあるロープから助走をつけて相手の側まで戻ってきたところで左足を踏み切りジャンプして体を後ろに傾けながら右足をマットと水平に突き出して相手の顔面を右足の裏で蹴り飛ばすロケットキック、相手の腕をひねり、相手に背を向けるように立ち自身の肩に取った相手の腕の肘の部分を叩き付ける技のショルダーアームブリーカーを使用しますね。

プロレスが大好きな方もあまりプロレスを知らないけどこれから見たい人も人気抜群の彼の試合は必ず見たいはず…そう考えて彼の試合中継を見る方法と簡単な経歴をまとめました!

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永田祐志の試合をテレビで見る方法

テレビで永田祐志の試合を見るにはサムライTV!!

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結論から言うと、永田祐志の試合は地上波は生中継は致しません。

彼の試合をテレビで見るにはスカパーと契約する必要があります!!スカパーと契約するとサムライTVを見られるようになり、永田祐志の所属する新日本プロレスの試合放送はサムライTVでやってるんですね!

ちなみにサムライTVはスカパーのプランの一つですのでスカパーと契約することになりますね!!

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サムライTVの月会費は?

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サムライTVの月会費は月額1944円です。
また、加入した月は無料で、翌月から視聴料が発生します。
たとえば、4/18に加入したとすると、4/18~4/30までは料金無料で見放題、5/1~通常料金の1944円となるわけです。

サムライTVではDEEPやスターダム、全日本プロレス、プロレスリングノアなどほとんど全てのプロレスの大きな大会を生中継を網羅しておりクラシック中この試合も放送されていますのでプロレス好きなら契約して損はないと思います!

サムライTVを見るための環境にいるものは?

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サムライTVを見るにはスカパーと契約した上で以下の機器が必要です。

1:BSデジタルチューナー内蔵テレビ、もしくはBSデジタルチューナー内蔵レコーダーなど(要B-CASカード)
2:BSアンテナ、もしくはケーブルテレビ

既に現在、BS放送が見られる・J:COMなどのケーブルテレビ局でテレビを見ている・スカパー!を契約しているなどの場合は、ネットで申し込むだけでサムライTVが見られる状態です。
ネットで申し込みをしてから約15分程度でサムライTVが視聴可能となります。

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WWEの狂気のボマイェ・アーティスト!!中邑真輔

永田祐志の戦歴

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永田祐志の経歴

永田は千葉県に生まれており1968年生まれ。父は千葉県立高校の校長兼野球部監督を務め、千葉県立成東高校では鈴木孝政、中村勝広らを指導。妹であるネイルアーティストの永田貴子は、アメリカで開催されるネイルトレードショー・WINBAで1999年入賞、2000年優勝の実績を持ち、裕志はもちろん、弟である総合格闘家の永田克彦のコスチュームデザインも行なうそうです。

1987年、千葉県立成東高等学校卒業後、日本体育大学に入学しレスリング部に所属。全日本学生選手権(1988年)および全日本大学グレコローマン選手権(1989年)で優勝を果たしています。
1992年、全日本選手権優勝後、新日本プロレスに入門。同期には中西学、石澤常光(ケンドー・カシン)、大谷晋二郎らがいる。新日本に入門したのは馳浩の紹介。1992年9月14日山本広吉(現:天山広吉)戦でデビューを果たしていますな。

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下積み時代

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1995年、新日本プロレスとUWFインターナショナルとの対抗戦に出場。グレコローマンの下地を生かしたファイトで桜庭和志らと激闘を繰り広げます。
1997年から海外武者修行としてWCWに遠征。
1998年、日本に帰国。同年、蝶野正洋の負傷による王座返上を受けて組まれたIWGPヘビー級王座決定戦に自ら本隊代表として志願し、nWo代表のスコット・ノートンと対戦するも、ノートンのパワーに圧倒されて敗れます。
1999年8月28日、神宮球場で中西と組んで、後藤達俊&小原道由を破り、自身初のタイトルとなるIWGPタッグ王座を獲得。この頃にリングコスチュームを青いショートタイツとレガースにし、以後数度模様などをマイナーチェンジをするもののこのカラーリングで定着しましたな。

2000年に中西、吉江豊、福田雅一と共にG-EGGSを結成、翌年まで活動する。2001年3月2日にはZERO-ONE旗揚げ戦へスポット参戦。
2001年、「G1 CLIMAX」決勝戦で武藤敬司を破り、「G1」初優勝。同年10月8日には秋山準(当時プロレスリング・ノア所属)とタッグを組み武藤&馳組に勝利。また、永田はこの試合をきっかけに新日本内でのスターダムを駆け上がっていくことになります。この年の12月31日、総合格闘技初参戦となったINOKI BOM-BA-YE 2001でミルコ・クロコップと対戦したが1R21秒左ハイキックを受け、レフェリーストップによるTKO負けを喫します。
2002年1月4日の新日本東京ドーム大会で、前年10月にタッグを組んだノア・秋山の持つGHCヘビー級王座に挑戦するも敗れましたな。

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IWGP王者時代

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2002年4月5日、安田忠夫を破ってIWGPヘビー級王座を奪取。以降、2003年5月2日に高山善廣に敗退するまで、橋本真也の持っていた防衛回数9を更新する10度の防衛を果たします。
2003年6月6日、ノアの武道館大会に二度目の参戦を果たし、同大会で田上明から勝利を収めます。1ヶ月後の大阪府立体育会館大会で秋山とシングルで対戦し、ここでも勝利を収め、9月12日の武道館大会で小橋建太の保持するGHCヘビー級王座に二度目の挑戦を果たしたが、王座奪取に失敗。
11月30日、ノア・北海道立総合体育センター(きたえーる)で棚橋と組んで、小橋&本田多聞を倒し、GHCタッグ王座を奪取。12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2003」でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、1分2秒左フックでTKO負けした。なお、イベント開催自体の開催が危ぶまれ、ヒョードル戦が決定したのが試合前日という混乱ぶりで、開催後も安田忠夫と永田のギャラが未払いとなり新日本プロレスが訴訟を起こすなどのドタバタがあった。永田はIWGPの防衛記録を持つなどのプロレスでの戦績と、アマチュアレスリングのバックボーンを持つことから大いに期待されたものの、2001年のミルコ戦に続く敗戦から、その後のプロレス業界の低迷も相まって「プロレス幻想を打ち砕いた」、「プロレス凋落の戦犯」などと批判・揶揄されます。
2004年6月12日、全日本・愛知県体育館で、ケンドー・カシンと組んで、小島聡&カズ・ハヤシを倒し、世界タッグ王座を獲得しましたな。

2005年1月、マッチメイクに異を唱え、新日本離脱を示唆する発言。3月、フロントとの確執の末ヒール転向を宣言。BNJに合流せず、1人で戦うことを選択。その後、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之らとレスリング軍団「チーム・ジャパン」を結成。4月26日、前田日明がヒョードル戦の内容に苦言を呈したのに対し「ニールセン戦が悪いんじゃないが、ヒョードル戦とはジャンルが違うだろ。胸に手を当てて考えろ。」と発言。
2005年10月、長州力が現場監督として新日本に復帰した際、蝶野を中心とした反長州派が不満をぶつけるなか、中立を宣言。長州に好意的な選手が少な過ぎるため、棚橋と共に長州とタッグを組まされ、半ばうやむやな形で中西とともに本隊に戻っています。12月11日、当時IWGPヘビー王者のブロック・レスナーと対戦し、敗北しましたな。

2006年に入り、スポーツ新聞の取材時にバレンタインチョコをかじる、徳島での試合を控えて阿波踊りで挑発する、誕生日ケーキを食べながら指をしゃぶるといったコミカルなパフォーマンスを行ないます。4月にはワールドプロレスリングで試合が放送される際、白目をむいて鬼気迫る表情をする姿に「鬼神」「キラー永田」とテロップが入ります。5月の第2回NEW JAPAN CUPでは、決勝でジャイアント・バーナードに敗れ準優勝。中西がZERO1-MAXの大森隆男とタッグを組み、IWGPタッグに挑戦する話が出た際に、王者チームに返上させて自身と山本のタッグや他のタッグを加えてトーナメントを開催することを提案。
2006年5月、個人事務所「ナガタロック」を設立し、8月4日にリラクゼーションサロン「enishing」を開店。6月には内外タイムスでコラム『永田裕志のセカンドバッグ』の連載を始めます。9月、三冠王者になった鈴木みのるを見て「鈴木にベルトを獲られたんだから全日本のレスラーはB級レスラー」と発言したが、当の鈴木のブログで「B級と言っていいのは俺だけだ。永田はC級」とやり返されます。その後もタッグ戦で鈴木との抗争を展開し、2007年1月に三冠ベルトを賭けて対決するも、惜しくもスリーパーホールドで敗れましたな。

2007年3月、「NEW JAPAN CUP 2007」で優勝。4月13日、大阪・大阪府立体育会館で行なわれたIWGPヘビー級選手権試合で王者・棚橋をバックドロップホールドで破り第46代IWGPヘビー級王者に返り咲きましたな。7月1日にはDRAGON GATEに参戦神戸ワールド記念ホールにてタケちゃんマンのコスチュームで入場し、ストーカー市川と対戦。9月9日、地元の千葉・東金アリーナで初の主催興業を行ないます。10月8日、両国国技館で行なわれたIWGPヘビー級選手権試合で棚橋の挑戦を受け、31分5秒ハイフライフローから片エビ固めで敗北、棚橋がIWGPヘビー級王者に返り咲きます。
2008年1月4日、「IWGP3rdベルト」を賭けてカート・アングルと対戦するもアンクルロックにより敗退しましたな。

2008年2月17日、両国国技館で行なわれる予定の後藤洋央紀戦であったが、ウォーミングアップ中にめまいと左半身のしびれを訴え、リングドクターは脳梗塞の疑いがあると判断。病院に搬送され試合は中止となります。精密検査の結果脳および頸椎に異常はなく、2008年2月27日に会見を行ない、病名は「高血圧から来る出血か、海綿状血管腫ではないか」と説明しましたな。
5月からシリーズに復帰。10月13日、田中将斗を破り、ZERO1世界ヘビー級王座を奪取。2009年2月27日に対大谷晋二郎戦で敗れるまで、3度の防衛を果たしましたな

サクラメントの跳躍力満点レスラー!アポロ・クルーズ!

近年の活躍

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2009年2月15日、昨年脳内出血による体調不良で緊急欠場し実現できなかった後藤洋央紀と両国国技館で1年越しの対決を行い、最後はバックドロップ・ホールドで後藤を沈めます。4月5日には飯塚高史とチェーンデスマッチで対戦するがレフェリーストップで敗北。5月3日、飯塚とドッグカラー・チェーンデスマッチで再戦し飯塚にK.O.勝ちを収めましたな。
8月に行なわれたG1 CLIMAXでは毎試合、ご当地の球団のユニフォームで入場。また、最終日にはイチローが着ていたワールド・ベースボール・クラシックのユニフォームを着て登場した。後に永田のブログでは「本物」だったと書き記されていましたな。
同年9月、平澤光秀、井上亘、スーパー・ストロング・マシンとともに青義軍を結成。12月5日には中邑真輔の持つIWGPヘビー級王座に挑戦するもボマイェで敗北を喫します。

2010年1月4日の東京ドームで行なわれたレッスルキングダムIVで元横綱・曙と「ブルーマウンテンズ」としてタッグを組み、TAJIRI・田中将斗組と対戦するも、曙もろともTAJIRIのグリーンミストを受け、最後は永田はTAJIRIのバズソーキックでピンフォール負けを喫してしまい、戦前の公約どおり地元の東金市で自ら銅像になる罰ゲームを受けることになります。
1月30日に後楽園ホールでは高橋裕二郎・内藤哲也のコンビ「NO LIMIT」とタッグを組み、TAJIRIとバットインテンションズのジャイアント・バーナード・カール・アンダーソン組による6人タッグマッチを行なうも、高橋のチャンピオンベルトによる攻撃に激怒したことで試合中にチーム内で亀裂が発生、いがみ合いの末にNO LIMITは試合放棄し、直後にTAJIRIからグリーンミストを受けて反則勝ちになります。
1月31日のディファ有明で青義軍の井上と共にTAJIRI、飯塚と対決、TAJIRIのグリーンミストに対抗して毒霧「ブルーミスト」をTAJIRIに使い、反則負けになるも屈辱を晴らします。しかし、その後はTAJIRIのいないチームとの対決でも惜しみなくブルーミストを使うようになる。そして、2月14日にブルーミストを封印し、自らのストロングスタイルでTAJIRIとシングルマッチで対決、序盤と終盤で2度TAJIRIにグリーンミストを受けるも目の位置を変えることでこれを耐え抜き、腕折り以外で初めて白眼を向き仁王立ちをする「緑の大魔神」に変身。強烈な膝蹴りと投げっぱなしのバックドロップをお見舞いし、腕折りでギブアップ勝ちするも、セコンドの制止が入るまでの間、白目を剥きながらゴングとレフェリーの制止を無視して腕折りを仕掛け続けていましたな。
その後はTAJIRIとの戦いが無く、8月8日のG1 CLIMAX XXのスペシャルタッグマッチで矢野通の椅子攻撃で右膝を負傷していたTAJIRIとタッグを組み、CHAOSの飯塚とCHAOS入りしたNO LIMITの高橋のタッグと対戦。始めは2か月近くの抗争を根に持っていたため、TAJIRIに対して冷たい態度を示していたが試合中の飯塚と高橋による執拗な右膝攻撃を受けているTAJIRIを見かねて手をさしのばすようになります。
結局、試合はTAJIRIが飯塚に捨て身のグリーンミスト攻撃で反則負けするも、TAJIRIは飯塚からアイアンフィンガーフロムヘルを奪い、序盤での猛攻撃に対し一矢報いようとするも裕次郎に妨害されてしまいます。しかし、直後に永田が高橋をブルーミストで撃沈させたことでグリーンミストとブルーミストの奇跡の競演を果たし、飯塚を羽交い絞めにしてTAJIRIのアイアンフィンガーフロムヘルによる飯塚への地獄突きに成功。その後、2人で敬礼ポーズをとり、固く握手をして和解しましたな。

2011年3月、NEW JAPAN CUPに出場し優勝する。4月、全日本プロレスに参戦し、チャンピオン・カーニバルに初出場。決勝で真田聖也を下し、優勝を収め、両メジャー団体春の祭典を制覇する快挙を成し遂げます。
6月18日、大阪大会のタッグマッチに勝利した直後、プエルトリコから帰って来た青義軍の盟友、ヒデオ・サイトーに襲撃を受け、バックステージで「嘘だと言ってくれ…夢だと言ってくれ…」と落胆の声を漏らし続けましたな。その翌日、盟友の裏切りで落胆している中、全日本に参戦し、諏訪魔の保持する三冠ヘビー級王座に挑戦するも、諏訪魔のバックドロップに敗れます。
8月のG1 CLIMAXでは優勝戦線に食い込む活躍を見せていたが、最終戦のヒデオ・サイトー戦でピンフォール負けを喫し、予選落ち。9月19日神戸大会でヒデオと対戦し、バックドロップホールドで雪辱を果たし、試合後にヒデオが平澤に戻りかけたところを矢野通に襲撃され、台無しにされてしまいましたな。
10月10日、矢野と対戦。試合中、矢野が鋏で野上慎平アナの髪を切ろうとするがそれを永田が阻止する。最後はリバースナガタロックIIIを繰り出すと返盃で再び返されるが、それを逆に丸め返して勝利した。全試合終了後、IWGPヘビー級王座を保持する棚橋に挑戦表明を行うも、矢野のベルト強奪という暴挙に見舞われ、挑戦表明が流れてしまいます。
11月12日大阪大会、棚橋と矢野のIWGP戦終了直後、負けたにも関らずふてぶてしくベルトを持ち逃げしようとした矢野を花道で迎撃。ベルトを奪い返し、棚橋に返却すると改めて挑戦表明を行い、棚橋がこれを承諾したことで10月に成立しなかったIWGP挑戦が正式に決まります。12月4日、IWGPヘビー級選手権に挑戦。30分以上にも及ぶ死闘を繰り広げるが最後は、棚橋のハイフライフローで敗北。
2011年度年間プロレス大賞にて、NJC・チャンピオンカーニバルの二冠を獲得し「春男」の名を欲しいままにした功績と、アンチエイジングを目標に掲げての元気溌剌なファイトスタイルが認められ、敢闘賞を受賞しましたな。

2012年1月4日のレッスルキングダムIVに24年振りに新日本に参戦する船木誠勝とタッグマッチで激突(永田のパートナーは井上亘、船木のパートナーは河野真幸)。試合終了直後、試合中に顔面(左目)への膝蹴りを受けたことに憤慨した船木の挑発に激怒、殴り合いの乱闘となります。
2月3日、東京ドーム大会での永田の膝蹴りで左目を負傷し、半年間の長期欠場が決まった船木の仇討ちを直訴してきた「STACK OF ARMS」河野の挑戦を受け、全日本プロレスのリングでタッグマッチを行った。河野のパートナーの田中稔をバックドロップホールドで勝利を収め、全日本のリングでナガダンスを披露。
その後、河野とシングルマッチで対戦するも、両者リングアウトで試合が終わり、その後、延長戦が行われるも永田のレフェリー無視が原因で起きたセコンド陣の乱入・乱闘で無効試合と不透明決着となる。3月4日、後楽園大会で再び河野と全日本プロレスのリングで、シングルマッチで対戦。今度は、場外カウントなしの決着戦で、リバースナガタロックIIIで勝利。3月20日、両国大会で河野と完全決着となるシングルマッチで対戦。今度は、ギブアップ・KOのみの、金網戦となり、最後はバックドロップで、KO勝ちを収めます。
11月、プロレスリング・ノアの開催するグローバル・リーグ戦に出場、開幕4連勝と健闘するも最終日の森嶋猛戦に敗れリーグ敗退に終わる。敢闘賞を受賞しましたな。

2013年1月4日、レッスルキングダム7の舞台で因縁の相手である鈴木と対戦、バックドロップホールドで勝利した。
その後、昨年9月よりフリーランスとして新日本に参戦している桜庭和志に目をつけ、4月7日両国大会で後藤をパートナーに桜庭、柴田勝頼組と対戦。ところが、試合終盤に放ったバックドロップを桜庭が上手く受け身を取れずにマットに着地。右肘の関節が不自然に曲がっていたことからレフェリーが試合を止めさせ、レフェリーストップ勝ちを収める。桜庭は「右肘関節脱臼」と診断され、長期欠場となってしまった。
6月22日、脱臼から回復した桜庭から復帰戦の相手として名指しで逆指名され、これを受諾する。7月20日秋田大会、地元での復帰戦となった桜庭とシングルマッチで初対決。最後は腕ひしぎ逆十字固めで捕えられてしまい、ギブアップ負けを喫した。
その後、桜庭とは9月29日の神戸大会でもタッグマッチで対戦したが、10月14日の両国大会で来場したグレイシー一族の挑発を受けて意気投合しタッグを結成。その後、11月9日の大阪大会では矢野、飯塚組と対戦し、勝利を収めた。
11月10日 二年連続出場となるグローバル・リーグで優勝しメジャー3団体全てのシングルリーグを制覇するという偉業を成し遂げた。

1月4日、レッスルキングダムにおいて、桜庭とタッグを組み、ダニエル・グレイシー、ホーレス・グレイシー組と対戦。ダニエルに道着での首絞めを受け反則勝ちとなった。
2月8日、ノア後楽園ホール大会で森嶋を破り、新日本プロレス所属選手としては初のGHCヘビー級王座を戴冠した。
2月11日、THE NEW BEGINNING大阪大会において、永田、桜庭対ダニエル、ホーレス組のリマッチが行われた。今回はプロレス対柔道の異種格闘技ルールとしてオープンフィンガーグローブでのパンチおよびチョークスリーパー、道着での首絞め有効の特別ルールで行われる。試合は桜庭がホーレスに道着でのチョーク攻撃を受け敗れた。
7月5日、五度目の防衛戦で丸藤正道に敗れ、GHCヘビー級王座から陥落した。

1月4日、レッスルキングダム9の第0試合(ニュージャパンランボー)に出場。最後はYOSHI-HASHIからピンフォール勝ちを収め、優勝を果たした。
1月5日、後楽園ホール大会にて中邑真輔が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明し、決定した。「ミスターIWGP」とも呼ばれる永田は、この挑戦を「究極の浮気」と表現した。
2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIにて中邑と対戦。かつて中邑を欠場に追い込んだ雪崩式エクスプロイダーなどで攻め込むも、最後はピンフォール負けを喫した。

 

1月4日、レッスルキングダム10の第0試合(ニュージャパンランボー)に出場し、敗退。
3月3日、NEW JAPAN CUP一回戦に出場。昨年と同じく後藤洋央紀と対戦し、敗退。
5月3日、福岡・福岡国際センターで柴田勝頼を破りNEVER無差別級王座を奪取。

2月3日(土)全日本プロレス「2018 YOKOHAMA TWILIGHT BLUES SPECIAL」横浜文化体育館大会にて全日本プロレスの秋山準選手とのコンビでアジアタッグ王座決定戦に挑戦(永田は頸椎椎間板ヘルニアにより欠場が決まった大森隆男選手の代打として出場)。野村直矢&崔領二(第103代王者の青柳優馬が負傷欠場のため、カード変更)に勝利し、第104代王者組となった。
3月25日に開催された全日本プロレスのさいたまスーパーアリーナ大会で、大森隆男&中西学組を相手にアジアタッグ王者のタイトルマッチが行われた。試合は秋山がエクスプロイダー→リストクラッチ式エクスプロイダーの連続弾で大森を轟沈しアジアタッグ王者の初防衛に成功した。
6月12日、全日本プロレス「2018 ダイナマイトシリーズ 【開幕戦】」後楽園大会にて、野村直矢&青柳優馬組を迎え撃ちアジアタッグ選手権防衛戦がおこなわれ、永田が野村のスピアを膝蹴りで迎撃し、“伝家の宝刀”バックドロップ・ホールドを炸裂させ、野村から3カウント奪い、2度目の防衛に成功した。
7月29日に開催された全日本プロレス・エディオンアリーナ大阪大会にて、前タッグ王者の野村直矢&青柳優馬組の挑戦を受けた。試合は青柳と野村がダブルの串刺しジャンピングニーをズバリと決め、青柳がロックスターバスターで秋山から勝利を奪取。秋山&永田組はアジアタッグ王者から陥落。

6月16日から開催されたNEW JAPAN CUP 2020にエントリーされ、6月17日の第4試合で鈴木みのると対戦。壮絶な消耗戦の末にバックドロップホールドで勝利し2回戦進出。6月24日の2回戦はメインイベントでオカダ・カズチカと対戦。序盤から重厚で見応え十分な攻防を繰り広げるが最後はオカダの変形コブラクラッチでギブアップし2回戦敗退となった。

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 永田祐志のファイトスタイル

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永田のファイトスタイルは正統派です。とにかく相手と真正面から打撃戦と投げ技で打ち合ってパワーファイトで押しつぶしていくスタイルですね!

現在のフィニッシャーは高角度でマットに叩きつけホールドにいく際にはブリッジをせずに自分の体を捻って覆いかぶさるような形で投げるバックドロップ・ホールド。元は通常型となるブリッジして固めるタイプを使用していたが、平成19年の越中詩郎とのIWGPヘビー戦あたりから、現在のフォームに変えましたな。

他にもリストクラッチが相手の左手首を正面から右太股の下でクラッチするのに対してオブ・ジャスティスは左手首を後ろ手に回す様な形で左太股の下でクラッチするエクスプロイダー・オブ・ジャスティスもフィニッシャーとして使用しますね。

他にも変形足4の字固めと膝十字固めの複合技のナガタロック、グラウンド式の腕極め顔面締めナガタロックII、相手の手首を持ってのエクスプロイダーのリストクラッチエクスプロイダー、垂直落下式ブレーンバスターによる旋回式ブレーンバスターのサンダー・デス・ドライバー、ブレーンバスターの体勢で持ち上げて、足をトップロープにかけ、そのまま首に対して自分の体を旋回させるマジック・スクリュー、フロントスリーパーの体勢で捕らえ、顔面からマットに叩きつける荒技のナガタバスターなどを使用します。

打撃技も通常のエルボーと違い、額に向けて高速で何発も放つムエタイ式エルボー、尻餅をついている相手の背中を足の甲で蹴りつけるサッカーボールキック、相手の動きを止めたあと相手の正面にあるロープから助走をつけて相手の側まで戻ってきたところで左足を踏み切りジャンプして体を後ろに傾けながら右足をマットと水平に突き出して相手の顔面を右足の裏で蹴り飛ばすロケットキック、相手の腕をひねり、相手に背を向けるように立ち自身の肩に取った相手の腕の肘の部分を叩き付ける技のショルダーアームブリーカーを使用しますね。

オカダカズチカの試合を生放送で見る方法は?これまでの経歴も紹介!

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永田祐志の試合の見所とまとめ

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いかがでしたでしょうか。日本のリングでオカダカズチカ、内藤哲也、棚橋弘至と並び、日本のプロレスラーとして圧倒的な知名度を誇る永田祐志。今では多くのファイトで人気を博しており、団体に欠かせない存在となってますね!

そんな彼の試合をテレビの大画面で見るにはスカパーのサムライTVとの契約が必要ですが、彼の試合にはその料金以上の価値があるエキサイティングなものが多いですよね!

これを機に彼の試合と他のスポーツも合わせて見てみてはいかがでしょうか。

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